お世話になった人が亡くなったので大阪に来た。19時に集合。

どう振る舞えばよいのだろうと向かっている途中は動悸がしたり胃が痛くなったりしたけど、ご自宅前まで来るとお線香の香りがふわりと漂っていて妙に落ち着いた。「死」や「別離」という辛いものが宗教儀式にすっと収まった感じがした。お焼香も同じく。

去年の11月にお見舞いに来ていたんだけど、その後2ヶ月ちょっとでのことだった。病気はだいぶ進行していたらしい。奥さんが教えてくれた。ベッドに横たわっているそのお顔はとても安らかで、色紙や缶ビールやドラえもんのフィギュア、色んなものに囲まれていた。皆から好かれていましたもんね。

この状況下で東京→大阪の移動ってどうなんとも思ったけど、最後にきちんと挨拶できて本当に良かった。弔いって残された人達が心の整理をするためのものでもあるんだなと。大吾郎さん、ありがとうございました。

これから、自分の中で故人が少しずつ過去の人になっていく。寂しい。親戚以外で人を喪うのは初めてだ。でも、ご家族にとってはこの喪失ってもっとずっと大きい。し、なんやかんや役所の手続きなどもある。同行者が「喪う悲しみ以外にもこれから色々と大変だろうから」と言った時、奥さんが初めて涙をこぼした。

生きていると人との死別がいつかは否応なくやってくるのか。いつ慣れるんだろうか。