世界なんかわたしとあなたでやめればいい

同棲していたひととお別れして別の男の人とお付き合いを始めた。

 

同居人だからこその生活感の伴う親密さってあって、それは家族とも言い換えられるだろうけど、恋愛感情よりも死守されるべきものだとはじめは感じていた。日々の暮らしに摩耗されてまるくなった連帯感。いつまでも刺激を求めてるんじゃなくて、このまるい安心を尊重できなければ私は人生をやっていけないと。もともと飲み友達だった彼とは日を増す事に会う頻度が増えていってキスもしたけど、胸がぎゅうとするのは背徳感によるもので、たちの悪い性癖なのだと。でも、会いたい、触りたい欲は加速度的に増していって、私は家にほとんど帰らなくなった。同居人に対しては見え透いた嘘を一応用意したけど、曖昧にぼかすだけでそれをわざわざ披露することはなかった。3週間くらい経った頃、問いただしてきた同居人にすべて明け透けに話して、聞けば同居人の方も浮気をしていたのでかえって安堵しながら別れを告げた。同居人は出ていき、私は1年半ぶりに1人暮らしを再開した。

 

部屋の荷物が半分になったのでソファを買い、机の配置を変え、LEDのイルミネーションを巻き付けた。プロジェクターとFire TV Stickも導入した。元同居人の帽子置き場は私のアクセサリー置き場になった。

 

様変わりした部屋は私の心そのものだけど、高揚する一方で自分の1年後の気持ちなんてどうなっているかわからないなって怖い。いまの熱量を自分自身で感じているからこそだ。これがずっと持続しますように、と願いつつ、彼と視線を合わせ、手を重ね、いたわりの言葉を(ぎこちないけれど)掛けてみたりする。こんなこと言うのってまるで彼女みたいだと、まだ慣れない立ち位置を考える。そして、彼の寝顔を至近距離で眺めながら次の日の朝を迎える。世界なんかわたしとあなたでやめればいい、そしてもう一度、わたしとあなたでつくればいい。というのは川上未映子さんの言葉。ふたりきりでいる時は、そんなことも思ったりする。