記憶の消失点へ


f:id:harpy:20180524221356j:image

そろそろビーチサンダルが欲しいけどためらっているのは酔っ払うとすぐに走り出す癖のせいだ。こける未来しか見えない。

 

 5月の気候は外で飲むのに最適で、ここ最近は隙さえあれば路上公園道ばたで缶ビールを飲んでいます。一緒に路上で飲んでくれる人は大体大好きで、そんな人たちとのお酒は大体楽しいので大体酔っ払う。公園のベンチやスケボーの上に寝場所を見つけて一定時間休眠してしまう。この前気付いたけどスケボー意外と眠れるのですよ。(どうでもいいですね)

 

みっともなさは楽しかった日の証左なのだけど、記憶は確実と言っていいほど砂のように手からこぼれている。さらさらした感触だけが手のひらに残っていて、2日くらい経ってから不意に砂粒のディティールを思い出すのだ。何を話したのか?何の話題であんなにも笑ったのか?クリアな記憶は残っていない。残っているのは外灯の心細さや必要以上の開放感、21世紀だというのに壊れたプルタブ。

 

酒量と記憶力の相関を無しにして、いくら飲んでも明晰でいられたらどうだろう、あなたとあなたとあなたとの記憶を全て忘れずにいられたらどうだろう。

 

と思ったけどよくよく考えると、少しくらいは消える記憶があっても良いのかもしれない。どうなんですかね。