発光地帯


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昨日今日は今月3回目の東京出張だった。もはや東京京都間の移動に何の感慨も湧かなくなっている、2.5時間が間延びも凝縮もせず2.5時間として在るだけ。それでも金曜〜土曜の東京滞在は実りが多くて、色々な人に会えたから満足。10年来の付き合いであるHとトラック30秒のタイ産ポップスが1曲のみエンドレスリピートで掛かる歌舞伎町のタイ料理屋で海老を食べたり、タイコクラブで知り合ったUさんとScyeの展示会に行って品物が届く数ヵ月後には何をオーダーしたか忘れちゃってるんですよねとか言いつつ両畦のニットを予約したり、ムンバイ旅行から帰国したばかりのNが左足の甲を切ってしまって現地の医者に麻酔もなしでホッチキスをバチンバチンバチンバチンと4箇所留められた話を渋谷のフルーツパーラーで聞きながらフルーツサンドをつまんだり、した。

10年前、高校時代にお付き合いをしていたHと不意に再会して一度離婚した身としての結婚観を聞くなんて当時は思いもしなかったろうし、Uさんとはタイコクラブでふと目が合っただけのところから関係がきちんと確立したのも不思議、Nと定期的に2人で会ってるのもいつからそうなったのやら。人間関係って長期スパンで見るとどう転ぶかわからない。

というのを2.5時間の最後のへりで考えています。京都着。

バナナ剥きには最適の日々


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長年錆び付いていた読書欲がゆるく解け始めた。ここ最近、ひとと会話をする中で自分じゃ考えつかない発想に出会うことが多くて、それらひとつひとつのディテールはあまり覚えてないけど何かしらの刺激になったみたい。もっと会話がしたい、ならばこちらも色々入れておこう、というのが発端なのかな。

読書欲があったとしても良い環境がないと捗らないものだけど(実際去年の秋に神林長平の全作品買ったけど全く進んでいなかった)、わたしは飲み屋にその落とし所を見つけた。わりと落ち着いた雰囲気の、かといって店主との距離が近すぎるわけではない、BGMが耳に馴染む、テレビの設置されていない店が良い。要は集中できるかどうか。周りが放っておいてくれるかも重要。

短編集を持ち込んでビール飲み飲み読み、お行儀悪いけど読みながらアテもパクつき、切りのいいところで小休止。1人飲みも嫌いじゃないしこのスタイルがフィットしてる。店名出すと六角富小路のすいばや西院のエラマサがお気に入り。どちらも美味しいし、エラマサで流れてるソフトロックがちょうど耳に気持ちいい。

すいば 六角富小路店

食べログ すいば 六角富小路店

エラマサ

食べログ エラマサ

あとはベッドで所在なくなってる時も読書が捗る。あ、この所在のなさ、ぽんと放っておかれてる環境が良いのかな。

地獄に堕ちた勇者ども


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儚さ、刹那、インモラル、そういったものに惹かれる性分のようで、求めるものを手に入れた瞬間に価値が半減してしまいそうで怖い。安定は鈍化の始まりと感じてしまうのだ。

かといって、不安定な関係に身を置き続けるのは少なからずエネルギーを削ること。持ち前のタフネスで乗り切っていますが、いつまで続くかはわからない。とりあえず自分の足で立っているようにしたい。それと、強さを「自分の弱さに無頓着であること」とすり替えないようにはしたい。

数ヶ月前から毎週のように上京していて、京都、大阪、東京を行ったり来たりする根無し草の生活を送っている。そのせいもあってなのかな、ふらふらしていないと落ち着かないのかも。ふらふらしているのが自分のスタンダードになってしまったと言うべきか。なんという矛盾!

Outer Space


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誰か1人に想いを傾けすぎてしまうと辛いから、色んな人と仲良くできてる今の状態は自分にとって心地いい。(八方美人みたいで失礼な見方かもしれない)

つかず離れずな彼との関係もちょうど良いガス抜きになっている気がして、願わくば私よ、深入りしませんように。

Little Bear


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ノンアルコールでひたすら喋った。この感覚久しぶりだな。

落ちている状態からどうやったら浮上できるのかって良い天気だとか草の香りとかちょっとしたタイミングでしかなくて、だからあの子には無理に自分を追い込まないでほしいなと思う。甘いものとか食べて自分を甘やかしてほしい。気い遣いでまっすぐな子だから、何かしらで報われてほしいというか、とにかく良い状態でいてほしいと切に願う。女の子相手なのに愛しくて苦しい。

mutism


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18時。お昼に食べたアララギのカレーがまだ胃の中で猛烈な存在感を放っている。

周りにいてくれている友達に対して愛が溢れて仕方ない、ということが最近とても多くて、ちくしょう皆好きだ!ってなる。特に夜に発動することが多い。

友達と会うときは大勢で集まるのもまあ楽しいけど、一対一で話す方が相手の考えてることをじっくり聞けるから好き。だからちくしょう好きだ!って思う人とはできるだけ一対一で会いたい。お店でごはん食べながらだったり、路上で缶ビール片手にってことも。ただ、そうすると1回につき1人としか会えない。東京へ行く日なんかも会いたいなと思う人を選ばないといけない。なかなかつらい。2時間刻みに約束取り付けることもあるけど、そうやって「こなす」もんじゃないよね本来。1回会えばノルマ達成っていうものでもないし。皆と会って話したい、ちくしょう好きだ。

引越しについて

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大阪から京都へ引っ越すことにした。先々週末に物件内覧して即決、今月末に引越し予定。

 

学生時代に住んでいた京都は就職と同時に離れたのだけど、ここ1年ほどは毎週足を踏み入れるようになっていた。毎週は言い過ぎかもしれない、でも2週間に一度は。出町柳界隈。

 

思えば1ヶ月前にKちゃんが話してくれたことがひとつのきっかけだったのかもしれない。Kちゃんは昔、人生の中で「ある節目」を迎えたとき、これから何を暮らしの主軸に据えたいか?と考えたらしい。そこで出した結論は「今の部屋に住み続けること」。Kちゃんは中京区にある古びていて丸みがあって可愛い色のアパートに愛を掛けて住まっている。今の仕事は楽しいから一本で続けることも考えたけれど、それだけではアパートに住むだけの生活レベルは保てないので仕事を掛け持ちする選択をしたと。

私はお酒で麻痺した頭でKちゃんの話を聞きながら「暮らしの主軸…いい考えやな」と思ったのだ。お酒で麻痺していたのでこの話が正確かどうかもよくわからない。多分ちょっと事実と違う気がする。とりあえず「いい考えやな」。と思った。

 

私は今、大阪のまじめな会社に正社員として勤めているのだが、なぜ働くのかと問われたときはこう答える。「食い扶持を稼ぐため」。稼げるのならそれでOKで、できるだけ休みたいし仕事にとらわれず行きたいところへ行きたい、したいことをしたい。仕事に暮らしを規定されるのは至極ナンセンスだと思う。少なくとも今はそう思っている。今くらいはそう思わせてほしい。守るものもないのだから。ともかく、私の暮らしの主軸は「赴くままにゆくこと」なのだと。

で、その結果として京都へ足を運ぶ頻度が増えているのであれば、住処をそちらへ移すことは自然だと思ったわけです。